徒然日記

『自己責任』とは?

2018年10月31日

『徒然日記』 

 

かなり昔のことです。鎌倉に出掛けて行き、「天園」だか「朝比奈」だか「葛原岡」だったか忘れましたが、「ハイキングコース」を歩いていた時に、金網に囲まれた場所があって、その向こう側は、自然豊かでかなり厳しい地形になっていました。その潜り戸の横に、「この先に進む人は『自己責任』で、行ってください」といった意味の、掲示がありました。「神奈川県」とか「鎌倉市」とか「なんとか町」は、事故に対して一切の責任を持ちません」という、“お触れ”というか、昔なら“高札(こうさつ、たかふだ)にあたる「警告板」です。

ここで、得意の余談になりますが、私が所属していた倉庫会社の勤務地は、広い敷地でしたので、消防法上「防火用水」(正式には「消防用水」)の設置義務がありました。条件として、「有効水量は二十立方米未満のものであってはならない」とありますので、そこそこの大きさでした。さらに「消防ポンプ自動車が二メートル以内に接近することができるように設けること」とありますので、いざという時に、使用しやすい状態にしておかなければいけません。防火管理者の私は、それこれを考えて、簡単な柵を作ったところ、消防署から忠告されました。「万一子供が入っておぼれたら、あなたの責任になりますよ!」。私は驚いて、「えつ!それじゃあどうすればいいのですか?」と質問したところ、「『この中に入ってはいけません。万一落ちたりしても、当社は責任を持ちません』という掲示をしなさい」と指導されました。

「字が読めない子供や外国人だったらどうしましょう!?」という心配は横に置いて、「掲示をしてあるのに、それを無視して入った場合、当社は<責任を持ちません>」という意思表示(警告)となるわけで、掲示が有るか無いかが、「責任はどちら側にあるか?」の際の、<有力な判断基準(分岐点)>ということです。

要するに、「【自己責任】の実態、まさにここにあり」です。

「なぜこのようなことを書いたか」と申しますと、皆様ご存じの「安田純平さん事件」です。【2015年6月、シリア人ブローカーと共にトルコ南部からシリア北西部のイドリブ県に密入国後、21日のツイートを最後に行方不明となる。その後、過酷な状況展開と紆余曲折があって、2018年10月に解放されて帰国した】ということですが、安田さんの行為は、「自己責任」であって、「自分の始末は自分でしなさい」という非難の声と、「ジャーナリストとして立派な行動である」という称賛の声が交錯しました。

冒頭で紹介した“高札”は、かなり昔のものですが、『自己責任』が、声高に論じられるようになったのは、2000年代の初め頃からだったと思います。今回の安田さんで思い出しましたが、確か2004年に、イラクで高遠菜穂子さんたち3人が拘束された際にも、某政治家先生が「危ないところにあえて行ったのは、自分自身の責任だ」と言っています。その高遠菜穂子さんが解放後、【「今後も活動を続けたい」と語ったことに対し、当時の小泉純一郎首相が、「寝食を忘れて救出に尽くしたのに、よくもそんなことが言えるな」と激昂した】という話は記憶に残っています。

私は、こうした様々な社会現象に対する考え方に関して、右から左までの方々の意見を、しっかりと見たり聞いたりして、「そういう見方もあるんだ」と、簡単には「賛成・反対」を決めつけるのはよそうと思っていますが、押し並べて、日本では、「自己責任論」が大勢を占め、西欧諸国では、「勇敢な行為」という称賛の声が多かったようです。

このことに対して、ダルビッシュの<Twitter>でのつぶやきがあります(何故か、送信されてきます)。曰く【一人の命が助かったのだから、自分は本当に良かったなぁと思います。自己責任なんて身の回りに溢れているわけで、あなたが文句をいう時もそれは無力さからくる自己責任でしょう。皆、無力さと常に対峙しながら生きるわけで。人類助け合って生きればいいと思います】【誰かがいかないと内情がわからないわけじゃないですか。そういう人たちがいるから無関係な市民が殺されるのを大分防いでいると思いますけど。危険な地域に行って拘束されたのなら自業自得だ!と言っている人たちにはルワンダで起きたことを勉強してみてください。誰も来ないとどうなるかということがよくわかります。 映画だと「ルワンダの涙」が理解しやすいと思います。 ただかなり過激な描写もあるので気をつけてください】【4回も捕まっていて5回目も行こうって思えるってすごいですよね。毎回死の危険に晒されているわけですよ。でも行くってことは誰かがいかないと歴史は繰り返されると理解しているからではないでしょうか?】

彼は“外国人的(外国人ですよね)思考”なんですね。かの渡部陽一、本田圭祐、古賀茂明さんなども彼寄りのツイートをされています。で、みなさんは、この事件をいかがお思いですか。日本人的感覚ですか?それとも、西欧人的感覚でしょうか?

“ワールドワイド”とか“グローバル”とかが叫ばれている昨今、「国際的なものの見方、考え方」を磨かないといけないと、安田さんの事件から、強くそう思いました。

尤も私には、“磨くに至る時間”は、もはや残されてはいないですが・・・!?(嘆息)

著者プロフィール

小泉武衡

職歴
 元 寺田倉庫株式会社 取締役


1964年より「物流業」に携わり、変化する“各時代の物流”を体得するとともに、新たな取り組みとして「トランクルーム」や「トータル・リファー・システム(品質優先ワイン取扱い)」事業に力を入れてきました。さらに、営業・企画・渉外・広報棟ほか、倉庫スペースを利用した「イベント事業責任者」などを歴任し、旧施設の新たな活用、地域開発、水辺周辺の活性化に尽力してまいりました。

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