徒然日記

職人技(わざ)

2019年2月6日

『徒然日記』 

 

昔どこかで、こんな話を書いたことはありました。題して「村の船頭と同い年」。多分ご存じの方はほとんどいらっしゃらないと思いますので、ご説明します。1941年に発表された童謡「船頭さん」(作詞:武内俊子、作曲:河村光陽)があります。作詞者にお許しをいただいて(と勝手に思っていますが?)、歌詞を書いてみますと、「村の渡しの船頭さんは/今年六十のお爺さん/年を取つてもお船を漕ぐときは/元気いつぱい艪がしなる/それ ぎつちら ぎつちら ぎつちらこ」♪。

要するに、「私はなんと、この船頭さんと同じ<60歳>になりました」(当時)ということだったのですが、今回、「なんで、その話を持ち出したか?」について弁明しますと、<2つ>の意味があります。①は、「いまや“人生100年時代”にあって、現在では<60歳>は、まだ、人生の折り返し点に過ぎない」ということについての考察です。そして、②は、「“平均寿命50歳の時代”(当時)にあって、<60歳>で、船頭をしている“お爺さん”の、<職人技>に、<スポットライト>をあててみたい」という思いがありました。

ということですが、欲張り過ぎてはいけませんので、今回は、②に絞って、話を進めさせていただきます。

懐かしい童謡が出ましたので、同様の童謡「村の鍛冶屋」をご紹介します。大正元年(1912年)に「尋常小学唱歌」となりましたが、鍛冶屋が作業場で槌音を立てて働く光景が、その時代の児童には想像が難しくなった昭和52年に、文部省の小学校学習指導要領の共通教材から削除されてしまいました。これもまた、ご存じの方がほとんどいらっしゃらないと思いますので、同様(童謡)にお許しを頂き、歌詞をご紹介します。【一.暫時(しばし)も止まずに槌打つ響/飛び散る火の花 はしる湯玉/ふゐごの風さへ息をもつがず/仕事に精出す村の鍛冶屋。二.あるじは名高きいつこく老爺(おやぢ)/早起き早寝の病(やまひ)知らず/鐵より堅しと誇れる腕に/勝りて堅きは彼が心】(三、以下略)。

ということですが、何を申し上げたいのかというと、「いまや、“職人”を志す若者が、“稀有な存在”となってしまった」ことへの“嘆き節”を書きたかったからです。

我が日本国において、最近はいわゆる「和室」が、少なくなってきましたので、畳の出番が減ってきています。引き続いて得意の昔話ですが、私の子供の頃は、畳は“畳屋さん”という職人が作っていました。我が家近くにも“畳屋さん”がありましたので、時々その仕事ぶりを見に行っていました。藁などを重ねて縫い締めた“畳床”に、“畳表”を張ってゆく作業ですが、仕上げは、“畳の縁(へり)”を縫い付ける工程です。その作業が、まさに「職人技」です。紺色のつなぎ作業服を着た畳屋のオジサンが、長い“畳針”を使って、“畳の縁”を“畳表”に縫い込んでいくのですが、ヒトメごとに、肘を使って糸目を絞り込みます。その際に「キュッキュッ」という音がするのですが、その作業のせいで、オジサンの肘は鋼のように固くなっています。時々、口に水を含んで、「プ~ッ!」と畳表にキリを吹きます。こうした連続作業は、まさに「芸術品」で、見飽きることがありませんでした。

その“畳の縁”にもグレードがあり、高貴な家柄のお宅では、家紋が入れられていて、「畳の縁をふんではいけない。それが相手を思いやる精神につながる」。一般平民の我が家の祖母からも、こうしたしつけを教えられました。

・・・で、得意の余談に入ります。私は「畳2枚で<1坪>」と教えられていましたが、実際には、関西での畳はいわゆる『京間』といって、2枚で<1坪以上>あります。それに対して、『江戸間』は、<1坪弱>です。さらに続けますと、はじめて「団地」に住んだ時に、畳サイズが短いのに驚きました。いわゆる「団地間サイズ」といわれるものです。因みに、<京間の6畳>は、<団地間の8畳>とさほど変わらないようですから、<㎡単位>で、理解しておく必要があるということです。

話が大分それましたので、本題に戻ります。【職人技】というと、私は、冒頭の「畳職人」もありますが「刀鍛冶」とか「宮大工」「漆職人」といった伝統職の方々を思い浮かべます。そのほかでは「和菓子屋」とか、切り身を決まった重さに切りそろえられる「魚屋」などの職人芸が、テレビなどで紹介されています。

私の知人で、大森の町工場の経営者がいましたが、そうした中小企業の<技>も“職人技”と言えると思います。映画やテレビでも放映された、池井戸潤の「下町ロケット」や「陸王」も、こうした「職人芸」の集大成を描いていました。

そのような輝かしい<技>がある一方で、こうした技術に関して、後継者不足が顕著になってきています。大森の町工場も、その姿が段々と消えて行っています。長年の修行と、それに対しての金額的な裏付け、将来展望の不透明さなどが、後継者不足へつながっていると思います。このことは「農業」にも言えます。

「地域活性化」が叫ばれ、様々な対策が考えられていますが、「汗を流して得たものへの“価値”(大切さ)」が、しっかりと評価され、それに向かって進む人の足跡が増えて行く…という未来が、日本各地に根付いてゆくことが「地方再生」につながってゆくと思います。

そのことに対しての<理解>と<バック・アップ>が、我々一人一人に課せられているのではないでしょうか。

著者プロフィール

小泉武衡

職歴
 元 寺田倉庫株式会社 取締役


1964年より「物流業」に携わり、変化する“各時代の物流”を体得するとともに、新たな取り組みとして「トランクルーム」や「トータル・リファー・システム(品質優先ワイン取扱い)」事業に力を入れてきました。さらに、営業・企画・渉外・広報棟ほか、倉庫スペースを利用した「イベント事業責任者」などを歴任し、旧施設の新たな活用、地域開発、水辺周辺の活性化に尽力してまいりました。

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