徒然日記

「電報」から「スマホ」へ

2019年5月8日

『徒然日記』 

 


新しい和暦年号「令和」がスタートしました。私の父は「明治」「大正」「昭和」「平成」の4世代を経験しました。それには及びませんが、私は「昭和」「平成」「令和」の3世代経験者となりましたが、昭和生まれの方は<9200万人>以上おいでだと聞きますので、まったく自慢にはなりません。

ということで、早速表題に移らせていただきます。

実は先日、出掛ける際に、スマホの充電がもう少しだったので、ギリギリ、充電完了時間まで待っていようと思いつつ、すっかりそのことを忘れて外出してしまいました。連絡の必要が出来て、ポケットを探って気づきました。「しまった!忘れてきた!」。慌てて我が家に電話をかけようとしましたが、公衆電話が見当たりません。やっと見つけましたが、10円玉が有りません。古い「テレカ(テレフォンカード)」が有ったのですが、賞味期限切れ!?で使えませんでした。

そこで思ったのですが、「連絡手段が無かった昔は、どうしていたんだろう?」・・・と。いまでこそ「携帯電話が無いと不便にして不安でたまらない」思いがしますが、昔は、連絡手段がないのが当たり前でした。その時代の「緊急連絡方法」は<電報>でした。朝ドラなどでしばしば見かける、「チチキトク スグカエレ」です。受取った子供の驚愕の表情がアップで写るのが定番です。その電報で面白いギャグがありました。都会の大学へ通っている子供からの<SOS>電報です。「カネオクレタノム」。勿論、「カネ送れ、頼む」ですが、貰った方のおやじは「カネをくれた、飲む」と読んで、あわてて「ノムナ!」と返信したという笑い話がありましたが、多分、実感される方は、いらっしゃらないと思います。「実感がない」で思い出しました。その昔よく利用した「駅の伝言板」。「〇〇さん。時間が来たので先に、△△へ行っています。□□」。あれ、利用された方っていらっしゃいますか?まだ設置してある駅ってありますか?

次に登場したのが、朝ドラ「まんぷく」にもよく出てきた「ダイヤル式黒電話」です。今では姿を消してしまいましたが、ネットで<3,980円より>とありましたので、有ることは有るようですが、プッシュ回線契約の場合は使えないそうですので、要注意です。貧乏な我が家では、当時なかなか設置できず、親切なお隣さんからの「呼びだし電話」でしのいでいましたので、我が家にその「黒電話」が入った時は、「天にも昇る心地」でした。

そこで一つ思い浮かべました。最近の刑事物ドラマなどで、よくスマホやガラケイで、連絡を取り合って、次のアクションにつなぐ、ハイテンポのシーンがよく出てきます。昔のドラマだったら、どんな場面になったかと思いつつ、へそ曲がりは楽しんでいます。

話を昔に戻します。私が会社勤めを始めて間もなくの<1968(昭和43)年>に、「ポケットベル(ポケベル)」サービスが日本でも開始されました。当時私は何処で何しているのかわからない“鉄砲玉の営業マン”(今でもその性癖は変わらず)でしたので、早速この「無線呼び出し機」を持たされました。喫茶店でサボっていたりすると、ポケベルが鳴り、あわてて、そこの赤電話から、会社に連絡を入れた経験は、しばしばでした。営業マンたちがたむろしている喫茶店では、呼び出し音が、あちこちでしょっちゅう鳴っていました。そういえば、「赤電話」「ピンク電話」「青電話」「黄電話」「グレー電話」、お使いになったことおありですか。今どうなっちゃっているんでしょう。さらに、「電話ボックス」見かけなくなりました。

そして1990年代、突如女子高生を中心に「ポケベル人気」が爆発して社会現象となりました。<14106「愛してる」><3341「さみしい」><084「おはよ~」>などと暗号のようなメッセージが行き交い、カナ入力ができるようになっても14文字ほどの制限があるなど、今では考えられないほどの制約の中で意思伝達が行われていました。そうしたなかで、女学生の上を行く私は、<11>は「あ」、<15>は「お」、<21>が「か」、<26>が「が」などという「変換ルール」を作って、意思の疎通を図っていました。

しかし1998年ごろから「携帯電話・PHS」がまんべんなく行き渡り、ポケベルはなすすべなく衰退。2007年にドコモが事業から撤退し、2018年現在、日本でポケベルを扱っている会社は、「東京テレメッセージ」だけとなり、そして2018年12月3日、ポケベル端末の『ページャー(マジックメール)』サービスを提供してきた「東京テレメッセージ」が、【2019年9月をもって、サービス終了】を発表しました。現在、ポケベル利用者は<1,500人>くらいとか。受信機なので電波を発しないため、医療関係者が使っているようです。その時期には大変お世話になった「ポケベル」が、無くなってしまうのは忍びないですが、その技術は、各自治体の「防災ラジオ」に生かされているそうですので、「人の命を救うために、頑張ってください!」と、エールを送りました。

そうした世の中の進化をにらみつつ、新し物好きの私は「生きているうちにせめて・・・」と、<スマホ>と<タブレット>を買い込みましたが、<SNS>とか<インスタグラム>等の高等技術!?についていけず、「宝の持ち腐れ」状態ですので、このあたりを語る資格がありません。

ということですが、新たな「令和」時代でも、変わらぬご支援のほどよろしくお願い申しあげます。

著者プロフィール

小泉武衡

職歴
 元 寺田倉庫株式会社 取締役


1964年より「物流業」に携わり、変化する“各時代の物流”を体得するとともに、新たな取り組みとして「トランクルーム」や「トータル・リファー・システム(品質優先ワイン取扱い)」事業に力を入れてきました。さらに、営業・企画・渉外・広報棟ほか、倉庫スペースを利用した「イベント事業責任者」などを歴任し、旧施設の新たな活用、地域開発、水辺周辺の活性化に尽力してまいりました。

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