徒然日記

いま、何故か思い出す言葉や所作など

2020年8月26日

『徒然日記』 

 

前回書きましたが、江戸っ子の私のお盆は「7月13日」からでしたが、世の中的には「8月13日からが主流でした。今年は、中の二日で有休を取ると「9日間の大型の休日」になりましたが、「コロナウイルス騒動」の影響で、故郷に墓参帰郷された方は、少なかったようです。

そうした時期、我が人生で「お世話になった方々」から受けた極めて貴重な言葉や言動を思い出しました。今回はそのことに触れさせていただきます。

*まずは私の父です。私もその歳に近づいていますが、84歳で亡くなりました。

「お酒」が好きで(子供達はその遺伝子を立派に受け継いでいます)、向かいの酒屋から、黙っていても酒が届いていました。父の晩年、子供達は体調を心配して「お酒はほどほどに、食べ物はセーブして」と常々言っていましたが、その都度父は「あれもダメ、これはするなでは、私は何を楽しみに生きてゆけば良いんだ!」と怒っていました。父が亡くなって30年近く経ちますが、立場が変わっての私も、今同じような思いです。「何を楽しみに生きているのだ」。「極めて重要な課題」であると思います。

*次は私の母です。50年ほど前に63歳で亡くなりました。生前良く口にしていた言葉は、「弟はあたたかいが、おまえは冷たいね」でした。しかし、その言葉のあとでしっかりとフォローしてくれていました。「でもおまえの偉いところだけれど、愚痴を言うのを一度も聞いたことがない」でした。自分ではその認識が無いのですが、この言葉をしっかりと記憶しており、愚痴はこぼさないようにしています。お会いしたことのある皆さん、違いますか。

その「愚痴」と関連しますが、私が大いに影響を受けた高校時代の担任教師の言葉です。曰く「わたしは世間話が嫌いだ。家内が世間話を始めたらぶん殴る!」。その行為は極端で、今でしたら「パワハラ」ですが、私はそのニュアンスをしっかりと受け止めて、意味の無い世間話は慎むようにしています。

さらに続けます。

*私が勤務していた倉庫会社の創業社長です。
すこぶる人格者で、多くの一流企業の経営者の方々から、絶大な信頼を受けていました。

松下幸之助さんの有名な言葉があります。「全員が賛成した提案は却下。全員反対の提案にはチャレンジする」。

黙っていても右肩上がりのバブル期、「トランクルームをやろう」と提案して、全員反対の中で、スタートしましたが、私は責任者となり苦労しました。その話の続きは改めてと言うことにさせていただきますが、今では会社の柱になっています。

創業社長の前職はいわゆる「質屋」でしたが、後年このような話をされていました。曰く「質屋は物を預かって、それを担保にお金を貸しているが、倉庫会社は物を預かってお金を頂戴する。こんな安全で確実な商売はない」。比喩ですが「言い得て妙なり」だと思いました。私はその社長から、種々のご薫陶をいただきました。

*同社の役員です。先般亡くなられた台湾の李登輝元総統ともご関係があった方ですが、私は若い頃から、営業に同行させていただきました。お相手は主として、一流企業の社長はじめとする幹部の方です。そこで学んだことですが、「話は黙って聞いて、時々タイミングを見計らって相づちを打つ。最後に一言感想を述べる。この相づちのタイミングと一言の感想の善し悪しが、当方の評価につながり、今後に響いてくる」と言うことを学びました。

さらに、同社の上司の話です。終戦直後で物がなかった時代、得意先から、当時は超貴重品のバナナを頂戴したときに、物差しで寸法を測って、社員全員に平等(たった一切れ)に渡るように苦心しているのを見ていたという同僚が、後年私に「なんと肝っ玉の小さなことをやっているのか。あの人の器量を疑ったよ」と話してくれました。

恥ずかしながらここだけの話ですが、バナナなどはいくらでも安く手に入る現在。私は、バナナをスライスして数人に分けるに際して、その先輩を思い浮かべつつ「平等」(こちらは何数切れも)にこだわって、ハカリに計って同じ分量を確認しています。(同先輩は私より7歳年上ですが、元気に活躍されておいでです。いまはバナナをどう切り分けておいででしょうか?)

度々の社内研修で、知識となったことはほとんど皆無ですが(ここだけの話)、唯一泊まりがけの研修の際に「呑兵衛講師」から聞いた、「お酌をする“頃合いの大事さ”」は今でも守っています。

ビール会社に勤める息子に、受け入れてもらえた唯一の「おやじ教育の成果」だと思っています。お酌のタイミングは、「接待」の場合は勿論のこと、大盛り上がりの「飲み会」の中でも、常に相手のグラスなり猪口なりの減り具合を注視して、注ぎたすタイミングは、「呑兵衛講師」の話がなければ、知り得なかった知識です。(お酌の風習は日本人のみという話も聞きますが)

さらに・・・。

お湯を沸かす(正確には「水を湧かしてお湯にする」なのだと常々思っていますが)ことがありますが、その際に、喫茶店を開いていた今は無き友人のこだわりの言葉を思い浮かべます。曰く「お湯は完全に沸騰させるとうまみ成分が逃げてしまう。底から泡が上がり始めたときに、火を止めるのが“コツ”だ」。そばにいる人に怪訝な顔をされますが、私はそのタイミングを今でも守っています。

と言うことで、お元気な先輩お一人を除いて、皆様亡くなられてしまいましたが、お盆の時期にあたり(少し過ぎてしまいましたが)、懐かしい記憶をよみがえらせてみました。

ご参考になる部分がありましたら、嬉しいです。

著者プロフィール

小泉武衡

職歴
 元 寺田倉庫株式会社 取締役


1964年より「物流業」に携わり、変化する“各時代の物流”を体得するとともに、新たな取り組みとして「トランクルーム」や「トータル・リファー・システム(品質優先ワイン取扱い)」事業に力を入れてきました。さらに、営業・企画・渉外・広報棟ほか、倉庫スペースを利用した「イベント事業責任者」などを歴任し、旧施設の新たな活用、地域開発、水辺周辺の活性化に尽力してまいりました。

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