徒然日記

歌は世につれ・・・

2020年9月23日

『徒然日記』 

 

時々申しあげているように「HIMAGINE(暇人)」を自認しておりますので、時間に余裕があります。仕事一筋(ありましたか?)の頃は、「朝ドラ」などは、見たことがありませんが、最近はしっかりと見ています。今のNHKの朝ドラは「エール」。女性が主人公のケースが多いのですが、今回は「古関裕而」(ドラマでは「古山裕一」)さんがモデルです。その前の男性主人公は「マッサン」(ニッカウヰスキーの竹鶴政孝さん)でしたが、ヒロイン「亀山エリー」役の「シャーロット・ケイト・フォックス」の方に光が当たってしまったようでした。

今回のコロナ騒動で、旅行、飲食を始めとして、音楽、演劇、スポーツ等各界にその影響が広がっていて、TVドラマも撮影ができず、その「エール」も2ヶ月ほど再放送が流れていましたが、9月14日から放送が再開されました。

時代はいよいよ太平洋戦争突入となりますが、生涯5000曲を作曲されたという古関裕而さんは、「暁に祈る」「露営の歌」「若鷲の歌」など言ういわゆる軍歌も数多く作曲しています。

実は、私の中学校時代の担任教師は、予科練帰りのスパルダ教育者でしたが、授業が終わったあとで、有志の生徒を集めて「軍歌」を教えてくれていました。したがって私は上記の古関裕而の軍歌は勿論、ほとんどの軍歌は諳んじていました。その先生は「七つボタン」とまではいきませんでしたが、予科練をイメージするような服装で教壇に立っていましたので、今でしたら、日教組から総スカンにあっていたと思います。

そしていわゆる「戦後」の時代になりました。古関祐而は、夢ある多くの若者を、軍歌で戦場に送ってしまったという、後悔の思いをこめて、「長崎の鐘」「君の名は」などの作曲を手がけました。私も、ラジオから流れてくる戦後の歌謡曲を楽しんで歌っていました。

その一方で、戦後暫く日本を占領していた、「進駐軍」経由で、アメリカのJAZZが入ってきました。いわゆる「FEN(Far EastNetwork:極東放送)を良く聞いていました。知人の兄が、有名JAZZバンドのベーシストでしたので、彼の家から、当時のSPレコードをこっそりとくすねてきて、我が家に戦前からあるゼンマイ式蓄音機で聞いていました。今でも、日本の某「ニューオリンズジャズ・バンド」の方々と懇意にさせていただいていますが、ジャズは「デキシー」⇒「モダン」⇒「フリー」⇒「フュージョン」と出現してきました。学生時代は銀座や新宿の「ジャズ喫茶」に良く顔を出していましたが、思い出に残るのは、ニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジにあるジャズクラブ「ヴィレッジ・ヴァンガード」で本場のナマ演奏を聞いたことです。

そして1960年代に入るとかの「ビートルズ」が出現。ほぼ同時に結成された「ローリングストーンズ」と人気を二分していました。

その一方日本では、1970年代になると、「シンガーソングライター」による新しいポピュラーミュージックが台頭してきました。「荒井由実」「吉田拓郎」「井上陽水」「さだまさし」等々がきら星のごとく出現しました。

そしてその後と言えば、「椎名林檎」や「宇多田ヒカル」となるのでしょうが、彼女らの初期のものはなんとか聞けましたが、その後の<J-POP>は、SMAPの「世界に一つだけの花」がなんとか歌える程度で、AKBグループを筆頭とする「アイドル路線」には、さすがの「新しもの好き爺」でも、「鬼滅の刃」と同じレベルで(妙な比較ですが)ついて行けませんので、話を「エール」に戻します。

古山裕一が、早稲田大学の応援歌「紺碧の空」の作曲に苦心した話が、「エール」の中でしっかりと描かれていましたが、私は別の某大学の卒業生です。ドラマでコロンブスレコードの重鎮であり世界的に有名な作曲家小山田耕三(モデルは山田耕筰)役は、かの「志村けん」さんが演じておいででしたが、撮影途中で、コロナウィルス感染者として、誠に残念ながら、亡くなられてしまいました。志村さんについては、その功績やお人柄などが、各方面で語られていますので、それやこれやは、そちらにお譲りしますが、その小山田先生は、難産の末に我が某大学の校歌を作曲されました。我々卒業生は(在校生も含めて)、日本三大校歌の一つだと胸を張っています(チコちゃん流に言うと「諸説あります」)。

そして、我が校の第一応援歌は「木枯正人(古賀政男)」作曲ですが、残念ながら、ドラマでは全く紹介されていませんでした(当たり前ですね)。

余談で締めますが、私の兄弟と子供達は、東京六大学の各校に散らばっています(残念ながら「東京大学」はおりません。強いて挙げれば「従兄」がおりますが)。私は在学中にしばしば「神宮球場」に足を運びましたので、六大学各校の校歌と応援歌は歌えます。別々の大学に入学した子供達の入学式と卒業式には出かけていって、大声で校歌を歌い、隣の方から「卒業生ですか?」と尋ねられ、「いいえ、違います」と答えて、怪訝な顔をされたことがありました。

ということで、「歌は世につれ」を終わりますが、コロナ騒動が終演したら、カラオケで「船頭可愛や」を歌ってみたくなりました。ご一緒にいかがですか?

やっぱり「乃木坂」ですか。それとも米津玄師?

著者プロフィール

小泉武衡

職歴
 元 寺田倉庫株式会社 取締役


1964年より「物流業」に携わり、変化する“各時代の物流”を体得するとともに、新たな取り組みとして「トランクルーム」や「トータル・リファー・システム(品質優先ワイン取扱い)」事業に力を入れてきました。さらに、営業・企画・渉外・広報棟ほか、倉庫スペースを利用した「イベント事業責任者」などを歴任し、旧施設の新たな活用、地域開発、水辺周辺の活性化に尽力してまいりました。

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