徒然日記

JR上野駅公園口

2021年2月2日

『徒然日記』 

 

表題の書籍「JR上野駅公園口」(柳美里作:2014年3月刊行)は恥ずかしながら知りませんでしたが、2020年12月20日の新聞広告で発見しました。そこには「全米図書賞受賞」と大きな文字で書かれていました。私は「栄えある受賞」よりも、この書籍のタイトルに引かれて、文庫本(第3刷)になったこの書籍を早速購入してきました。

何故かと申しあげますと、私は、上野の隣駅、山手線で一番乗降客の少ない「鶯谷」駅付近に生まれ育ちました。通称「根岸の里」です。恐縮ですが、「本書籍」のコメントは後に譲って、理解を深めていただくために、まずは「周辺地域」に迫ります。

1945年8月15日、太平洋戦争が終わりましたが、その5ヶ月前の「3月10日」に、東京の下町は一面の焼け野原となりました(我が家は奇跡的に焼け残りました)。いわゆる「東京大空襲」ですが、僅か一晩で10万人もの命が奪われました。

上野には「JR駅」と「地下鉄駅」がありますが、その連絡通路としての地下道があり、終戦直後この地下道は、親を亡くしたいわゆる「浮浪児」が暮らしていました。このあたりの話は、菊田一夫作のNHKラジオ番組「鐘の鳴る丘」に詳しく描写されています。

私が上野の中学校の生徒だった時代、経済復興が始まり、東北地方から中卒の生徒が集められ、東北線で上野駅に大挙送り込まれていました。いわゆる「集団就職」です。その頃の彼らの心境を歌った歌謡曲に、伊沢八郎さんの「ああ上野駅」(1964年発売)がありました。「どこかに故郷の 香をのせて/入る列車の なつかしさ/上野は俺らの 心の駅だ/くじけちゃならない 人生が/あの日ここから 始まった」。1フレーズ以内なら著作権に抵触しないようですので書き出してみました。累計で100万枚を売り上げたそうです。その後私が就職した会社にも、数名この集団就職者がおり、当時の苦労話などを随分と聞かされました。この曲は私が卒業した上野の中学校の同窓会で、しばしば歌われています。

JR上野駅公園口を出ると「上野恩賜公園」が広がっています。今は噴水広場になっていますが、当時は、杉の木が二本はえている広場で、通称「二本杉原」と呼ばれていたましたが、3~4面草野球が出来るので、私たちは、休日の早朝近所の野球仲間と連れだって出掛け、広場で出会った他のグループとの交流試合を楽しんでいました。

さらにその脇に「擂鉢山古墳」があります。その形状が「擂鉢を伏せた姿に似ている」ところから名付けられました。ここから弥生式土器や埴輪の破片などが出土し、約千五百年前の前方後円形式の古墳と考えられています。周囲が鬱蒼とした木立に囲まれていますので、表題小説の時期には「ホームレスの人達の居住地」となっていました。

当時我々子供達は、秋になると上野公園に出掛けて行き、イチョウの木の下で「銀杏」を探すのを楽しみにしていて、バケツ一杯集めてきては、臭い皮をむいて「銀杏の実」を取り出していましたが、いつの頃からか、見かけなくなりました。そのわけは、この地の「ホームレスの人達」が我々より早く取ってしまっていて、なんと一袋「100円、200円」で売っていました。そしてこのことは、「文中」にも出てきていて、「アメ横でキロ700円で引き取って貰う」とありました。

さらに、上野公園は「花見の名所」ですから、その季節になると、陣取り合戦が始まります。新入社員の私などは、地元ですから早朝から駆り出されて、「便利な陣取り要員」としてこき使われていました。しかしこちらも、その「ホームレス」の人達が、ブルーシートで先取りしてしまい、段ボールで器用に作ったテーブル付きセットで売っていました。そして、花見が終わったあとの残り物はそのまま置いていってOK。彼らの貴重な食糧となっていました。

アルミ缶を沢山集めて、大黒様のように担いで、さらに探し回っている人もよく見かけました。「確か<1個2円>。あれで幾らになるのかな?」と思ったりしていましたが、この光景も「文中」に出てきていました。「300個は入っているから600円にはなる。」

ある時期公園の一カ所で、大勢の人が行列を作っている光景をよく見かけましたので、何だろうと思って並んでみましたら、ボランティア団体がホームレスの人達のために食糧を支給していると言うことでした。「試しに?」と思いましたが、厚顔の私でもさすがにそこまでは実行できませんでした。

上野公園には、超有名な諸施設の他に「彰義隊の墓」「西郷隆盛像」「花園稲荷神社の穴稲荷」「上野大仏」「清水観音堂」「正岡子規記念球場」「不忍池の弁天堂」などがあります。弁天堂の入り口に立っている「道祖神」は必見ものですが、検閲にかかりそうですので解説は割愛いたします。

そのような歴史を持った上野公園周辺ですが、「上野恩賜公園」ですから皇族の方々がいらっしゃる度に「山狩り」と称して、「ホームレスとその居所」はその都度移動をさせられていました。そうした思いを込めて、数年前に「擂鉢山周辺」を歩いてみましたが「ブルーテント」は姿を消していました。「きれいさっぱりになっていたその光景」に複雑な思いがしました。

以上「JR上野駅公園口」をお読みいただくための予備知識でしたが、「本題に入ります」と申しあげる前に、枚数が尽きてしまいました。

「主役:ホームレスの胸痛む苦労話」は、本書「600円(税抜き)」をご購入のうえお楽しみください。

柳美里さんから「何かひとこと」ありましょうか?

著者プロフィール

小泉武衡

職歴
 元 寺田倉庫株式会社 取締役


1964年より「物流業」に携わり、変化する“各時代の物流”を体得するとともに、新たな取り組みとして「トランクルーム」や「トータル・リファー・システム(品質優先ワイン取扱い)」事業に力を入れてきました。さらに、営業・企画・渉外・広報棟ほか、倉庫スペースを利用した「イベント事業責任者」などを歴任し、旧施設の新たな活用、地域開発、水辺周辺の活性化に尽力してまいりました。

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