続・徒然日記

ありそうでなさそうで実際にあった話

2022年11月24日

『続・徒然日記』
葉山 明彦


今回は上海駐在時代に経験した中国の「ありそうでなさそうで実際にあった」話を書く。私が上海に赴任したのは2012年。上海ほか中国にはそれまで何度も出張していたが、実際に住んでみるとおかしな話がたくさん出てきた。

まず一番初めに洗礼を受けたのは歩行者として道路を歩く時のルールだ。車の通行は日本と異なり右側通行で、交差点での信号が赤でも車が右折できるのは米国と同じで知っていたが、歩行者信号が青で横断歩道を歩いていても車やバイクが躊躇なく突っ込んでくる。歩行者優先でなく車優先の社会なのだ。車が途切れるのを待って渡ろうとすると歩行者信号が赤になる。朝夕の渋滞時は特にそうだ。そこで生活者の知恵でこちらも横断歩道や信号に関係なく、車がいないときに道路を渡るようになる。さらに次のステップで車が来ても大丈夫な距離的感覚が身につき、ゆっくり止まらずに歩くと車の方からよけるのを知る。車は近づいてギリギリまで接近しても不思議と歩行者に接触するケースはない。そこでこちらも車にかなり近いところでやり過ごす中国バージョンを体得した。しかし、これが習慣になると恐ろしい。日本に帰国した時、この感覚で道に乗り出すと、車は驚いて必ず停車する。妻からは危ないから待っていなさいと子供のように叱られる。ここで自分もすっかり中国生活者の習性が身についてしまったのだと自覚した。

交通関係では車同士がぶつかった交通事故を見た時も現場のやりとりに驚いた。乗用車同士が接触した事故だったが、ガツンとぶつかった後、双方の運転手が出てきておまえが悪い、いやおまえだと口角泡を飛ばした言い合いが始まった。すると周囲に野次馬が集まりだし、その輪はだんだんと大きくなる。事故現場は車を止めたままで、片側車線は渋滞が始まったがお構いなし。そのうち野次馬も論戦に参加し、あーだこうだと人民裁判が始まる。誰かが通報したのか、公安(警察)官が遅れてやってきて、人民裁判のやりとりをフンフンと第三者的に聞いていた。別の日、知り合いがタクシーに乗ったとき高速道路の出口付近で同様の事故に遭った話を聞いたが、タクシー運転手は相手との口論に終始し、客のことはまったく無視。知り合いは口論が終わらなかったので、バイバイと手を上げ料金を払わず自ら慎重に高速道路の出口に歩いて降り、別のタクシーを拾ったそうだ。日本ならまず客の安全な場所を確保し、代車を呼んで警察が来るのを待つと思うが、この国には顧客マインドの考えはまったくないようだ。

次は救急車の話をする。知り合いが野外で熱射病か何かで体調不良となり救急車を呼んだ時、救急隊員はあえぐ病人の前でまず「あなたは200元を持っているか」と聞いたという。その人は持っていたのでそのまま病院に搬送されたが、持っていなかったら搬送を拒否されただろうと言っていた。調べてみると、この国では確かに救急車は有料で、病院での診療の支払いも含めすべて前払いとなっている。緊急搬送の基本料金、距離に応じた走行費、さらに病院の診察やカルテ作成、薬代などの項目を足していくとそれなりの金額になる。救急車が有料の国は中国に限らず海外では米国ほかたくさんあり、むしろ日本のような無料(いま問題になっているが)は少数派のようだ。

それは理解したが、支払い義務は救急車を呼んだ人にあるようで、知り合いのケースはたまたま本人がスマホで要請したのだろう。苦痛の病人に金の有無を問うというのは、日本人からするとやりすぎの感を禁じ得ず、まさに地獄のさたも金次第とも言いたくなる。それが理由か、街角で交通事故の瀕死のけが人がいても傍観者が救急車を呼んであげることはまずないという。

次は私の仕事時の話。ある時、合肥(安徽省)という都市に出張することになった。日系の物流企業が同市開発区の物流包括コンサルタントとなった。同市には工業団地に日本の多くのメーカーが工場進出しており、その視察も兼ねてコンサルタント契約調印日に1泊で取材を計画した。日系企業関係者と前日から同じホテルに宿泊したが、翌朝ロビーに行くとなにやら公安がいて物々しい。聞くとこのホテルにジャーナリストが泊まっているので、地元の公安が調べに来たという。その対象は私で、公安から何の目的で合肥に来たのかと訪ねられた。私は上記の目的を説明し、一緒にいた日系企業の関係者が流暢な中国語で公安に重ねて説明すると、なりふりを見てそうかとばかり何も説明せず引き揚げていった。いったい何があったのか、きつねにつままれた感じだ。駐在前に外国人マスコミ関係者は尾行されているとか噂では聞いていたが、まさかこんなところで公安に詰問されたことに戸惑いは隠せなかった。

しかし、その理由は昼には判明した。中央政府の権力闘争に破れた人物の妻が別件で逮捕され、その日当地で裁判が行われるというのを同市関係者から小耳にはさんだ。中国では政治や刑事絡みの裁判は居住地や出身地とまったく関係のない場所で行うケースが多く、この日たまたまそんな裁判とぶち当たってしまったのだ。私は中国政府から報道機関としての特殊なビザを発給されており、そのIDナンバーを着任時に住居のある公安機関に登録しているが、それが重要な裁判のある当地公安のシステムに引っかかったのだ。中国では公安が日本は市役所で行う住民登録の仕事を兼ねていて、定められた住所以外に宿泊するには外国人も含めいちいち公安に申請しなければならない。旅行でホテルに泊まった時に誰もそんな申請はしたことないだろうが、それはホテル側が代行して申請しているからで、私の場合、特殊なビザだったため、公安がこの裁判の取材に来たのではと疑ったわけだ。まぁ、やっかいな取り調べがなかっただけはよしとしておこう。こちらの取材は順調に終えることができた。

これら「ありそうでなさそうで実際にあった話」は今から10年ほど前のことである。その後の中国社会の変遷やここ何年間かの新型コロナ蔓延によるゼロコロナ政策で現状は定かでないことを付け加えておく。(了)

著者プロフィール

葉山明彦

国際物流紙・誌の編集長、上海支局長など歴任

40年近く国際関係を主とする記者・編集者として活動、海外約50カ国・地域を訪問、国内は全47都道府県に宿泊した。

国際物流総合研究所に5年間在籍。趣味は旅行、登山、街歩き、温泉・銭湯、歴史地理、B級グルメ、和洋古典芸能、スポーツ観戦と幅広い。

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