続・徒然日記

中国で見た尖閣諸島国有化事件

2023年4月19日

『続・徒然日記』
葉山 明彦


10年ほど前になるが私が上海に駐在していた時、尖閣諸島国有化事件が起こった。尖閣諸島国有化事件とは中国が近年領有を主張するようになった国境海域にある日本の尖閣諸島を、日本政府が2012年9月に国有化したことで中国政府が硬化、中国海警局が日本の領海内外で連日威嚇行動を起こすようになり、中国国内では全土で反日デモが起こって暴徒が日系企業や百貨店を襲撃するなどした事件だ。これを境に日中関係は一気に悪化。それが今日まで続き、両国関係が冷え込む契機となった事件である。事件の分析はマスコミ各界が今日まで十分に報道してきたが、今回は上海駐在員として中国国内で体験した当時の状況を書いてみる。

まず触れておきたいのは、2012年は日中国交回復40周年の記念すべき年で、それまでは両国関係がかなりよい状況にあった。日中貿易も過去最高額を毎月更新し、日本の企業進出・駐在員の数も最高水準になった。外国報道機関に対してもウエルカムの姿勢に転じ、事実、私の所属した会社もこうした流れの中で進出を果たした。事務所開設から半年近く経った9月11日、風向きは急に変わった。当時の野田佳彦民主党政権が尖閣諸島を国有化する宣言を行ったのである。そもそも尖閣諸島問題は、国境を接する世界どの国々にもある領土領海の所有主張と同様で、該当地に喫緊な事情がない場合は、特段いま手をつける問題ではなかった。しかし、その前段で当時の石原慎太郎東京都知事が尖閣諸島を東京都が買い取ると言い出したため、国として東京都に先を越されるわけにはいかないと判断したのだろう。ところが中国側は日本の“国”が前面に出てきたことで態度を一変させた。テレビでは連日、日本批判のニュースが流されるようになり、反日の底流に火をつけてしまった。

時期も9月。中国では満州事変の発端となった柳条湖事件(1931年)の起こった9月18日を「国恥記念日」としており、毎年この日に向けて各地で反日デモが行われている。この年は直前に日本の尖閣諸島国有化宣言があったので異常な盛り上がりをみせ、共産党地方組織の指導もあって中国各地で反日抗議デモが次々と始まった。16日に青島で日系メーカー工場が焼き討ちされ、長沙で日系小売企業が貴金属略奪にあい、広州や深圳でも日系企業や日本食店で放火や略奪があった。北京の日本国大使館でも窓ガラスが壊された。そして本命となる翌々日の18日は、全土100以上の都市で大規模な反日集会が行われ、上海でも1万7000人(日本国上海総領事館発表)がデモに参加した。

私の会社事務所は浦西の虹橋開発区にあり、日本総領事館の2~3ブロック隣にあるビルなので、前の道は公安警察によって1週間ほど前から日本総領事館を守るバリケードが二重に設定されていた。当日の入館は本人確認のため自分の名刺5枚以上を持参提示することが求められた。事務所としては当日取材にあたる記者以外は休みとし、私は早朝機材を事務所に取りに行き、自宅マンションを連絡本部として日系企業や関係者との情報収集、日本本社との連絡に当たった。

ただ、各地で暴徒の横暴が伝わるなか、上海では大規模なわりに驚くほど整然としたデモが行われた。これは各地の暴動をみて上海市政府が危機感を覚え、公安警察が上海での暴動化を抑えたからである。上海は中国最大の日本企業進出地なのだが、2005年の小泉純一郎首相靖国神社参拝で反日暴動があり、日本の飲食店十数軒が暴徒に破壊されたことがあった(後に上海市が賠償したとされる)。この轍を踏んでは今回こそ日本企業に逃げられると判断したのだろう。

デモ参加者は共産党の地元委員会や中国系企業の動員が多いのだが、一部に凶暴な反日主義者や泥棒集団もいる。公安はこれら少数者の摘発で、未明から周辺ビルを捜索し潜んでいた不審者を逮捕したり、独自行動をとる活動家を護送車に押し込めたりした。大多数のデモ隊は二重バリケード前まで来ると、公安によって内側に数十人ずつ人数制限して入れられ、次のバリケードから日本領事館前に進むと「魚釣島(尖閣諸島)は中国のものだ!」「日本を滅ぼし沖縄を取り戻せ!」などのシュプレヒコールを行ってガス抜きし、バリケード外に出されて動員組は待っていたバスで帰るという「官製デモ」に近いようなものだった。

9月末、私は一連の報告で帰国したが、成田空港で手にした週刊誌をみると「日中開戦前夜」「中国と戦争突入へ」などあまりにセンセーショナルな見出しに「あるわけないよ」と笑った。しかし、日本でのテレビは毎日繰り返して百貨店の略奪の映像を映していた。各地での百貨店・量販店における貴金属の略奪については、反日というより反日を利用した泥棒集団が行ったのは間違いない。貴金属売場は通常、建物の上階にあるが、ある都市の略奪では複数の泥棒集団が略奪を独占するため先を争い、途中階で泥棒同士が殺し合いになったという。ただ、こう毎日暴挙の場面をテレビで見ていると、普通の人は「中国はみな反日=暴徒の略奪」と心理的に傾いてしまうかもしれないと思った。

中国内におけるデモはそれ以降下火となり、上海でも1週間後には平穏な日々が戻っていた。関係先や知り合いの中国人とはそれを機に関係が悪くなったということはなく、むしろこちらに同情的だった。ただ、尖閣諸島周辺の海上では中国公船による威嚇行動がますます強まっていった。経済面ではこの事件を境に日本から中国への投資案件はほとんどが理由なく半年以上凍結された。そして日本企業はそれまで中国一辺倒だったアジアへの投資姿勢を「チャイナ+ワン」に転換し、ベトナムなどにも目を向けていった。現地にいても風向きが明らかに変わっていくのがわかった。

著者プロフィール

葉山明彦

国際物流紙・誌の編集長、上海支局長など歴任

40年近く国際関係を主とする記者・編集者として活動、海外約50カ国・地域を訪問、国内は全47都道府県に宿泊した。

国際物流総合研究所に5年間在籍。趣味は旅行、登山、街歩き、温泉・銭湯、歴史地理、B級グルメ、和洋古典芸能、スポーツ観戦と幅広い。

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