続・徒然日記

友誼関で見た中越の現代史

2023年8月16日

『続・徒然日記』
葉山 明彦


ベトナムと中国の国境に「友誼関」(ユーイーコワン)という関所がある。友誼とはフレンドシップのことで、ベトナム戦争当時の1965年、北ベトナムのホー・チ・ミン主席と中国の周恩来首相がここで会見し、反米国戦争で共同歩調をとり、友好を誓ったことから名付けられた歴史的な場所である。その後、北ベトナムは戦争に勝利、全土を統一するも友好を誓った中国との関係はギクシャクし、時には一戦を交えた。私は2010年にベトナム側から友誼関を訪れ、この国境を越えたことがあったが、ここでベトナム/中国(中越)両国関係の現代史が凝縮されたものを見た。今回はその時の感想をまとめてみる。

友誼関

ベトナムというと、いまや東南アジア屈指の工業国で日本からも多くの企業が進出し、めざましく経済成長している国だ。また、観光面でも最大都市ホーチミン市のほか、北部のハロン湾、中部には古都フエ、ホイアンの遺跡やダナン周辺のリゾート地など脚光を浴びている。ただ、高齢となった私の世代は若い時にベトナム戦争が長く続いたのを覚えていて、旧と新の2つの現代ベトナムを見てきた。私が初訪したのは1996年だったが、その時はホーチミン市とハノイを訪れ、戦後イメージを払拭して発展の緒についた若々しいベトナムを見た。今回はさらに時を経て経済の発展に目を奪われがちだったが、友誼関に足を延ばしたことで、中国の存在を対に置き、少しばかり厚みのある考察ができた。

中越国境地区の地図

友誼関は首都ハノイから北へ車で3時間半ほどに走った中国との国境にある。私はこの時、ベトナム物流事情の現地取材の一環で、当時物流会社間で競っていたベトナムを経由してカンボジアへ陸路で貨物を運ぶ経済回廊の中国ルートを調べるため中越国境を訪れた。まず、訪れたのはベトナム側の国境から15キロほど手前にあるランソンという町で、鉄道は単線に3本のレールがあった。中国のレールが標準軌に対し、ベトナムは狭軌のため国境地区らしく単線にレールを重ねてどちらの車両も乗り入れられるよう敷設されていた。鉄道は旅客が中心で、貨物は国境の友誼関近くにトラックの積み替え拠点が設定されていた。両国間には国境の山を貫くトンネルが既に完成していたが、貨物をコンテナ単位でスルー通関することをベトナムがまだ認めてなく、山あいに平地の積み替え拠点を造成して、クレーンで両国トラックに積み替えを行うという原始的な光景がみられた。

鉄道はベトナムの狭軌と中国の標準軌に対応できる3本レール                              

ベトナム側貨物積み替え場

友誼関の出入国関所は、ベトナム側の簡素な出入国棟を過ぎて遮断機(ゲート)を抜けた先にあった。中国領にある山稜の低い部分を削った峠のような場所に立派な門があり、この先の建物で手続きを行い中国側に入った。すると一変する景色に驚愕した。前述したトンネルの中国側には片側3車線の近代的な高速道路があり、ベトナム側の山道とはまったく別世界の光景だった。この高速道路の10キロ先には凭祥(ピンシャン)物流園という貨物ターミナルがあり、中国側はここの税関で輸出申告(保税はICカードを発行)をする。凭祥物流園は2・33平方キロメートルという広大な敷地で、これもベトナム側の山あいを削った積み替え場所とは比較にならないものだった。凭祥は中国の広西・荘族自治区で辺境都市の割には規模が大きく、町に出ると高層ビルが建設ラッシュであった。国境のインフラ、近隣都市の発展をみてまさに両国の経済格差を目の当たりにした。

凭祥(ピンシヤン)物流園区のゲート

中国側の取材を終えてハノイに引き返そうと再び友誼関に戻り、周囲の山に目を向けると異様な景色に気づいた。国境の山稜にそれぞれ双方に向いて軍事監視所や砲台所がいくつも築かれている。来る時は出入国手続きに気をとられて気づかなかったが、これは越境物流が隆盛しつつある当時でも両国は緊張関係にあることを理解させるものであった。ベトナム戦争は1975年に終結したが、戦後中国が米との国交樹立やカンボジア紛争に介入したことで関係が悪化し、国交を断絶。79年には軍事衝突が起こって中国軍が友誼関を越え一時ランソンの町を占拠したこともあった。その後、ベトナムは経済復興を重視し、ドイモイ政策などで再び中国と接近、91年には国交を回復した。そして中越貿易の拡大で友誼関は通商の大拠点となりつつあったのだが……。国境の地図を見てみると、中国側には短い間隔で砲台所が10カ所以上も記載され、ベトナム側を取り囲んで圧倒していた。経済力に加え、軍事力の格差も十分に理解させる国境体験であった。

それから10数年の今日、中国は海軍力も強め、アセアン諸国と摩擦を起こしながら南シナ海に進出。ベトナムのすぐ前の海域まで領有権を主張している。友誼関に隠れていた両国の緊張は南シナ海という舞台で表に現れ、さらに度を強めている。

(※中越両国の物流事情は2010年当時のもので、その後発展の一方、新型コロナ蔓延による停滞を経て現在は変化している可能性もある)

著者プロフィール

葉山明彦

国際物流紙・誌の編集長、上海支局長など歴任

40年近く国際関係を主とする記者・編集者として活動、海外約50カ国・地域を訪問、国内は全47都道府県に宿泊した。

国際物流総合研究所に5年間在籍。趣味は旅行、登山、街歩き、温泉・銭湯、歴史地理、B級グルメ、和洋古典芸能、スポーツ観戦と幅広い。

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