北米にあるフランスの香り(1)ニューオーリンズ フレンチクォーターにデキシージャズ
2026年10月14日
『続・徒然日記』
葉山 明彦
今回は久々に海外の話を書く。テーマは「北米にあるフランスの香り」で、2回に分けて今回はニューオーリンズ(米国)、次回はケベック(カナダ)について書こうと思う。私は両都市とも1度ずつ訪れたことがあるが、それぞれ同じ国の他の町とは異なり小さなパリというか瀟洒なフランスの雰囲気のある町だった。フランスの香りがするこれらの街が北米になぜ存在するのか、歴史をたどりながら思い出をめぐらしてみる。
◆ニューオーリンズ、音楽と映画で憧れた街
私がニューオーリンズを訪れたのは20歳代前半なのでもう40年以上前だが、米西岸からグレイハウンドバスで各地を何日も貧乏旅行し、雨の中やっと着いたのがニューオーリンズだった。フレンチクォーターという中心部に宿をとったが、行ってみて感動したのはその街並みで、碁盤の目のように整った道に3階建ての古典的かつ瀟洒な洋館建築の建物が隙間なく並び、とてもロマンチックな雰囲気のある街並みだった。

写真①フレンチクォーターの街並み、奥はセントルイス大聖堂
当時の私にとってニューオーリンズはある意味、憧れの町だった。フォークソングやエレキバンド全盛の時代にアニマルズの「朝日の当たる家」というニューオーリンズの娼館を舞台とする悲しい娼婦の歌が大ヒットし、ラジオの深夜放送のほか日本のフォーク歌手もよく歌っていた。またこの地は学生時代に映画で観たビビアンリー主演の「欲望という名の電車」(テネシー・ウイリアムズ原作)の舞台で、街中をその名の通り「DESIRE」(欲望)というプレートをつけた市電が走る。それだけでなく大ミシシッピ川を脇にかかえ、トムソーヤーの冒険に出てくる蒸気船が遊覧する。直前にロサンゼルスで行ったディズニーランドでもニューオーリンズスクエアという街を模した一角があった。そんなこんなで貧乏旅行でもこの町のフレンチクォーターは行くに欠かせないと何日もかけ必死の思いでたどり着いたのだった。

写真②ミシシッピ川の蒸気船
ただフランスが植民地として最初に開拓したフレンチクォーターではあるが、18世紀後半の2回の大火でフランス建築の建物は多くが消失し、現存するのは正確に言うとフランス様式だけでなく、その後植民地としたスペイン、クレオール(現地で生まれた混合文化)、米国などの様式が混ざったものという。フレンチクォーターの中心部はパリのブランドものなどの有名店が並ぶカナルストリート、ブルボン王家の名をとったバーボンストリート、画廊や骨董店があるロイヤルストリートなど。音楽はデキシーランドジャズの発祥地で、街中を歩くと昼間でもあちこちからジャズが聞こえてくる。ルイ・アームストロングがひょいと出てきそうな雰囲気だ。街を一通り歩いた後、気軽に入れる店でジャズライブを聴いた。ジャズに加えもう1つこの街で有名なのはシーフードグルメで、特にロブスターはその代表格。これも必須と夕食時に少し気取ってレストランに入ると、当時の感覚ではあまりに高い値段に前菜もワインもとらずロブスターだけ食べて退散した。
朝はフレンチクォーターの中にジャクソン広場があり、ここを散歩した。ミシシッピ川のすぐ前なので朝霧がかかっている。広場の石畳のスペースでは若い画家が絵を売っていてパリのモンマルトルのような雰囲気だ。ジャクソンという名はニューオーリンズのあるルイジアナ州が仏から米国に帰属替えした後、英米植民地戦争でジャクソン将軍が率いる米軍が英軍を打ち破ったのにちなんだ。

写真③ジャクソン広場前では若い画家が絵を売る
◆植民地戦争の影響をかいくぐり発展
ニューオーリンズやルイジアナ州のフランスとの関係を知るため、ここで歴史を少したどってみる。詳細は年表の通りだが、コロンブスの米新大陸の発見後、欧州では宗教的弾圧や貧困を逃れるため移民が相次ぎ、宗主国がこれらを植民地としてきた。北米では英国ピューリタン(清教徒)などが東部13植民地に来たのを皮切りに各国民が入植したが、ニューオーリンズには17世紀にフランス・オルレアン地方の人々が入植し、フランス語のヌーベルオルレアンをそのまま米語にしたのがニューオーリンズだ。またルイジアナはルイの土地という意味で、開拓当時の王ルイ14世にちなんでつけられた。

地図(出典:二宮書店高等地図帳)

18世紀半ばになると英仏間で植民地争奪戦が始まった。米国の英国に対する独立戦争より少し前だ。劣勢のフランス(ブルボン王朝)はルイジアナを同じカトリック教のスペインに売却、その翌年フランスは負け、カナダを含めた北米植民地をすべて失うもルイジアナは英国の手に渡らなかった。ただ、ナポレオンが登場すると19世紀初頭にフランスがルイジアナをスペインから一時的に取り戻すも財政事情の悪化で3年後には既に独立した米合衆国に売却。その後、英国が米国にオルレアン植民地奪取戦争を仕掛けるが、前述のジャクソン将軍がこれを破って以後は米国領として存続する。落ち着くまで壮大なドラマが繰り広げられたニューオーリンズだが、その後は大きな河川港を持つことで、米国南部の経済、観光、文化の中心都市として発展していった。(次回はケベック)