徒然日記

「平成」から「令和」へ

2019年4月3日

『徒然日記』 

 

今より30歳も若かった当時の私は、しっかりと覚えています。30年前の<1989年1月7日、14時36分>。「新しい元号は『へいせい』であります」。当時の、小渕恵三官房長官が記者会見室で、「平成」と墨で書かれた生乾きの2文字を掲げました。翌日、記者団から「平成元年を迎えての心境」を問われた竹下登総理は「平静です」と答えていましたが、さすが<DAIGO>のおじいちゃん。お孫さんなら、<HSD>なんて言っていたかもしれません。

我が国の元号は飛鳥時代の「大化」から「昭和」に至るまで246のすべて、「天皇の大権」に基づいて決められていました。「飢饉があった」とか「天災に見舞われた」「戦禍で荒廃した」といったときに、その時代の天皇が、いわゆる「心機一転」(痛いの痛いの飛んで行け!?)の思いを込めて、年号をあらためたことがしばしばあり、最も短い年号は『天平感宝』で、<3ヶ月足らず>であったそうです。『一世一年号』は「明治」からで、「昭和」の64年は、最長不倒の年号です。

「昭和」まではそのようなことでしたが、「平成」は国民主権により内閣によって決められた初めての元号となりました。しかし政府は、平成をだれがいつ考案したのかをはじめ、最終候補として平成以外に「正化(せいか)」と「修文(しゅうぶん)」が残っていたことなどの基本的な情報も、いまだ正式に公開していません。

先日テレビで、当時の「元号に関する懇談会(民間人8人)」のメンバーのお一人であった、元早稲田大学総長:西原春夫氏が、「明治(めいじ)・昭和(しょうわ)と言う言葉(語尾)がしっかりと止まっているのに比べて、平成(へいせー)は、語尾が流れていってしまう平凡な時代になるのではないかという懸念を示したが、最終的に満場一致で決まった。平成は、戦争もなく、毎日毎日がいつも通りだった」と話されていましたが、竹下総理の「平静」は、30年間生きていたということになります。

話が横道にそれますが、私は総理大臣になられる前の「竹下登氏」と、名刺交換をさせていただいたことがありました(当時は文部大臣)。少し幅広の木調風台紙に「竹下登」というお名前が毛筆的文字で書いてあるだけでした。私もいつかは、そのような「名前だけの名刺」を作れる身分になりたいと思っていますが、果たせずに、現在に至りました。(当たり前!)

話を元に戻します。30年前は勿論、最近もしばしばテレビに映し出される、前述「小渕長官」の「平成であります」で示された<額の文字>は、河東純一(雅号は蜂城)氏(官房人事課所属で内閣組閣時に総理大臣等の辞令を書く書家で、後に「書の名人」として人事院総裁賞を受賞)の揮毫によるもので、この額は後日、本表具され竹下総理の手元に、その後国立公文書館に寄贈されたそうです。そして最近、国立公文書館は、この所蔵品の「平成」の書の「平成クリアファイル」をグッズ化して販売を始めたところ人気上々だそうです。これは「国立公文書館」の、文字通り“お墨付き”ですから、ミーハー爺としては、買いに行こうかな?と思っています。「平成」の人気は衰えることがないようです。

後日談が残っています。その30年前の当時、総理主催の内々の慰労会がおこなわれた席で、総理が連日テレビに写し出される小渕長官を見ながら「俺は消費税で『名』を残したが、この小渕は元号で『顔』を残した」と言って皆を爆笑させたそうです。そこで再び「さすが<DAIGO>のおじいちゃん!」。その<DAIGO>は、あと5日で<41歳>。当時は<10歳>でしたが、今回はどのようなコメントが出ましょうか?

そして・・・、「平成おじさん」で有名になり、その後総理大臣にまで上り詰めた小渕恵三氏の“あのインパクト”を思うに、今回「脚光を浴びる役は誰か?」が話題になりましたが、菅官房長官が4月1日11時40分に、新元号を発表されました。(菅先生とは、何度も名刺交換とご挨拶をさせていただきました)。ということですが、かのスーパーマリオまで演じた安倍総理が黙っちゃおれないと、12時から「談話発表」をして、しっかりと『顔』を残されました。

ところで、政府は新元号が公表前に漏れないよう情報管理を徹底していたそうです。決定直前に新元号案を伝えられた閣僚や衆参両院の正副議長、有識者はしばらく室内で待機させ、携帯電話も預かるという徹底管理(かの“ゴーンさん保釈条件対応”以上!?)で、「新天皇が報道で新元号を初めて知ることがないようにとの配慮」がとられていたそうですが、新天皇より先に「新年号」をご存じだった方、いらっしゃいませんよね!?

さらに、「明治(M)・大正(T)・昭和(S)・平成(H)の<4イニシャル>は『略号』として使われているので、それらと異なる<イニシャル>で無ければならない」といわれていましたが、<“EIWA>ですから「その通り」ということでした。

心配性の私は、【平成までの元号の出典は判明しているだけで77。すべて中国の古典に由来する。出典を国書(万葉集)に求めたのは初めて】という報道を見て、「中国から何か横やりが入らないと良いな」と案じています。

という諸々を、頭に入れていただいて(あまり参考になる話じゃないですね)、あらためて「“令和  時代”に幸多かれ!」と祈りましょう。

そのようなことで来月からは「令和」という新時代に入りますが、改めて皆様、引き続きましての変わらぬお引き立てのほど、「七重の膝を八重に折り、すみから、すみまで、ズズズイットウーー、オン願い申しあげ奉りまする~!」(拍子木!)

著者プロフィール

小泉武衡

職歴
 元 寺田倉庫株式会社 取締役


1964年より「物流業」に携わり、変化する“各時代の物流”を体得するとともに、新たな取り組みとして「トランクルーム」や「トータル・リファー・システム(品質優先ワイン取扱い)」事業に力を入れてきました。さらに、営業・企画・渉外・広報棟ほか、倉庫スペースを利用した「イベント事業責任者」などを歴任し、旧施設の新たな活用、地域開発、水辺周辺の活性化に尽力してまいりました。

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