徒然日記

そして「パラリンピック」 (より良い「共生社会」を目指して)

2021年9月15日

『徒然日記』 

 

無事成功裏に幕を閉じた「オリンピック」に続いて,8月24日~9月5日に「パラリンピック」が開催されました。

NHKの朝ドラ「おかえりモネ」で、「パラリンピック」の国際大会を目指す車椅子選手を,なんとか代表にしようと気象会社と医師がチームを組んで指導に当っていた話しが放送されていました(目下継続中)が、そのことも頭に入れて、TV観戦をしていました。

「パラリンピック」は、メダル獲得は勿論快挙なのですが、様々な障害を背負いながら、それを乗り越えて出場した選手の皆さんの、並々ならぬ精進と不屈の精神に頭のさがる思いがしました。勿論、テレビドラマのように(それ以上に)、「選手達をしっかりとサポートしている、多くの関係者の方々の存在もあって」と思いますので、「チーム」の大切さ・重要さを再認識しました。

そして、「世界をより良い共生社会にするために、この大会に参加する」と誓った、選手代表の「開会宣言」に感銘を受けました。

ある企業が「パラリンピック協賛キャンペーン」で<#WeThe15>というキャッチ・コピーを掲げました。「世界人口の15%が障がいを抱えている」という事実を指摘して、「障がいの有無にかかわらず、あらゆる人が自分の個性、より良い共生社会を発揮して、ポジティブに生きられる世界を目指す」と謳っています。まさに「より良い共生社会に」という「開会宣言」への協賛です。

「15%の人が障がいを抱えている」という指摘には驚きましたが、実は、私も膝に障がいを抱えている身ですので、15%に入っています。

開会式で天皇陛下と並んで、菅首相がおいででしたが、首相も現在多くの悩みを抱えておいでの心障者(15%該当)ではないでしょうか。

話題を競技に移します。私は、障害の種類や程度で、有利・不利の差が出ることを心配していましたが、例えば陸上競技では「車椅子」「切断の義足選手」「視覚障がいの選手」の区分があって、さらに程度によって<33ものクラス>に分けられているそうです。

その一方で、「ボッチャ」や「ゴールボール」では、全員が「アイシェード(目隠し)」をすることで、公平性を担保し、クラス分けせずに一緒に競技をしていました。

公平さの一例ですが、「金メダル」を狙っていた日本の水泳選手が、再検査で「1クラス軽いランク」に変更になりましたが、その選手は、11位でした。ランク分けの重要性の一例です。

そうした競技の中で私が感銘を受けた選手を挙げてみます。

まずは、「日本選手団最年少記録。14歳で銀メダル獲得」の「山田美幸選手」(100m背泳ぎ)です。彼女は生まれつき両腕が無く、足も不自由ですが、足と上半身のうねりを上手に使って泳ぎました(将来の夢は「外交官」)。彼女の泳ぎを見ていて、彼女に水泳を始めさせたご両親こそ「金メダリスト」だと思いました。

視覚障がい者の「目の働きを担う相棒的存在者」にも驚かされました。その一つは水泳における「タッパー」です。ターンとゴールで、選手を長い「タッピング棒」で叩いて壁の位置を教えるのですが、0.06秒で10cmの差が出るという、まさにコンマ何秒の差がタイムに影響を及ぼします。今回の競技では、タッパーの第一人者「寺西真人氏」と、金メダルに輝いた「河合純一選手」に注目が集まりました。一度は選手引退した河合選手(今回の「日本選手団団長」)を再登場させて、念願の「東京パラリンピック」での「金メダル」。「寺西・河合」の執念と信頼関係は、素晴らしいと思いました。

そして、もう一つ。視覚障害者女子マラソンで、リオでの「銀メダルの無念」を晴らしての、世界記録で優勝した「道下美里選手」。彼女には、無くてはならない2人のガイドランナーがおいででした。前半伴走の「青山由佳さん」、後半担当の「志田淳さん」。3人で勝ち取った「金メダル」でした。レース後の記者会見で「大会の意義は?」と尋ねられた道下選手に「それは志田さんが」と振られて述べた「障がいを持った人と健常者が一緒に輝けるということを、理解いただけたのではないかと思います」。まさに「より良い共生社会」を具現化した瞬間でした。

まだまだ、新競技「車椅子バドミントン」で2冠に輝いた「里見紗李奈選手」。日本競泳チームの主将を務め、「金メダル2個」を含めて、出場5種目総てでメダルを獲得した「鈴木孝幸選手」(先天性四肢欠損)はじめ、ご紹介したかった方は沢山おいでですが、この先は皆さんそれぞれの思いにお任せして、最後にもう一つ感動のシーンを。

それは、東京パラリンピックの開会式のコンセプト、「私たちには翼がある」のパフォーマンスに登場した13歳の少女「和合由依さん」です。両足に障害があり左手も動かしづらい由依さんは、車いすに乗って開会式のパフォーマンスで、主人公の「片翼の小さな飛行機」を演じました。演技の経験は無いと言うことですが、5000人以上の応募者の中から、主人公の座を射止めたそうです。その豊かな表現力はこのシーンを見た人総ての心を奪いました。その1人、国際パラリンピック委員会広報責任者の「クレイグ・スペンス氏」は「新しいスターが生まれた。恥ずかしいくらい泣いた」と、彼女の演技を絶賛していました。

感動を思いっきり味わった「東京オリンピック」「パラリンピック」も終わりました。「STAY HOME中」の私は、その余韻に浸りつつ「つわものどもが夢の跡」とつぶやいています。

その興奮が冷めやらず、次回のテーマが、現時点では思いつきません。

著者プロフィール

小泉武衡

職歴
 元 寺田倉庫株式会社 取締役


1964年より「物流業」に携わり、変化する“各時代の物流”を体得するとともに、新たな取り組みとして「トランクルーム」や「トータル・リファー・システム(品質優先ワイン取扱い)」事業に力を入れてきました。さらに、営業・企画・渉外・広報棟ほか、倉庫スペースを利用した「イベント事業責任者」などを歴任し、旧施設の新たな活用、地域開発、水辺周辺の活性化に尽力してまいりました。

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