続・徒然日記

海外の日本料理店事情

2023年2月15日

『続・徒然日記』
葉山 明彦


今回は海外における日本料理店の話を書く。日本企業のグローバル化が進んだ今日、日本人がいる外国の都市ではどこも日本食材の店と日本料理店が必ずある。一時的な旅行者は別として外国で生活する日本人にとっては、身体に染み込んだ日本食の味を忘れることができず、そうした需要に応えて日本から食材販売や料理店が海外に進出している。

私が訪れた国でもアフリカや中近東の日本企業がいない一部の国を除き、まず日本料理店は存在した。そして多くの場合、私はそうした都市の日本料理店を訪問した。それは現地の日本企業を取材した後で食事を誘われるとまず8~9割は日本料理店に招待されるからだ。海外の日本料理店は食材を日本から仕入れるなどもあって金額的には安くはなく、日本人駐在員といえども自腹でそう頻繁に利用するわけにはいかない。そこで日本人客や出張者が来ると日本料理店で接待するということが多くなる。つまり駐在員にとって日本人来訪者が来た時は日本料理を食べるチャンスでもあるのだ。

私は出張者と駐在員の両方の立場で外国の日本料理店の場数を踏んだが、価格的にはデフレ下で極端な円安となった現在の日本とは比べようもないものの、私の訪れた時代の一般的な概況として欧米は概して高く、それに比べアジアでは店数が多いのもあってかリーゾナブルな店が多かった。

欧米では日本の消費税に比べ高い付加価値税や外食売上税、さらにはチップ(サービス料)が必要で、どうしても割高感は否めないが、それでも日本人が多くいるニューヨークやロンドン、デュッセルドルフ、アムステルダムなどは高級店だけでなくリーゾナブルな店まで幅広くあった。思い出に残るのはアムステルダムのホテルオークラにある山里である。ここは高級店だが、欧州の日本食最高峰と言われ、刺身など魚料理や寿司、天ぷら、お弁当など日本の割烹と遜色なく、さすがオークラという印象がある。駐在員もこの店は自慢できるのだろう、出張者だった私は同日の昼夜異なる企業からそれぞれ食事の接待を受けたこともあった。余談だが年末年始に日本に帰国しない欧州各国の駐在員は、アムステルダムのオークラに泊まって紅白歌合戦を観て、山里で正月のおせち料理を食べるのが夢だという話をしていた。

アジアでは各国にたくさんの日本料理店があるが、上海とバンコクが価格的にリーゾナブルで質的水準もまずまずと言われていた。私の駐在した上海では2012年ごろは日本人滞在者数が5万人を超えていて、全世界でもロサンゼルスを抜いて日本人が一番多い海外都市となった。このため日本料理店もステーキ、すき焼きや寿司、天ぷら、うなぎ、割烹など高級料理に限らず、定食から焼鳥、ラーメン、カレー、そばうどんなど庶民的なものも含めあらゆるジャンルの店が揃っていた。特に私の事務所のあった虹橋経済開発区の一帯は日本企業の集積地で、背後に日本人が多く住む古北地区もあって日本料理店が林立しており、昼食は中華よりも日本食の方が普通に食べられる環境だった。

このころ上海の日本料理店には決まった料金で「食べ飲み放題」というシステムが流行っていた。つまみは居酒屋メニューを中心に種類がけっこう豊富で、酒は現地生産もののビールや日本酒、焼酎、酎ハイなどが揃っていた。近所の居酒屋で概ね150元~220元だったが、当時は円高(1元=約13円弱)で、信じられないような低価格だったので、初めはあちこちの店に足繁く通った。「おばんざい」という大皿料理の店も何軒かあり、京都のおばんざいとは少し異なるのだが、何品か小分けして食べられる店もあってこれもけっこう使わせてもらった。

ただ、少し経つと上海の日本料理の味は関西風の店が多いことがわかった。東京出身の私は醤油文化で育ってきたが、上海では関西風の出汁をしっかりとった塩味の店が多い。それに東京では高級の鯛めし(炊き込み)やふぐでもそう高くない店が何軒かあり、うなぎは直焼き、こちらに来て初めて食べた宇和島風鯛めし、山口の瓦そば、大阪のホルモン焼きや韓国風チリトリ鍋など西日本のメニューが豊富だ。ラーメンも味噌や豚骨ラーメンはあるが、東京味の醤油ラーメンがなく上海中を探し回ったこともあった。

なぜ関西味が多いのかの答えは、行きつけの店で会う日本人客と次々と名刺を交換したことでわかった。関西の繊維・アパレルに関係する業種の人がかなり多いのだ。しかも個人で長く駐在されている方も多い。アジアでの日本企業の駐在員派遣は、歴史的に関西系商社の繊維関係から始まり、その後繊維メーカーも大手から中小企業まで、さらに繊維機械や輸送を担うフォワーダーなど関連業種も増えていった。繊維の基盤は圧倒的に関西にあり、これらを追って関西の料理店や板前が上海に出てきたので、上海の日本料理に関西味の店が多いのは当然といえば当然のことだった。上海にもホテルオークラ(オークラ・ガーデン・ホテル)にアムステルダムと同じ山里という名の日本料理店があり、ここは京風料理もあるが全般的に味のバランスはとれていた。

上海の日本料理店経営者の中には、上海の店を誰かに委ねて当時日本企業の進出著しいミャンマーに店を出しに行った猛者がいた。尖閣諸島問題が起こった後、上海の日本人数が頭打ちとなる一方、ヤンゴンは新興市場なのでまだ日本食の店は少なく決断したそうだ。しかし、インフラが整ってない中で生ものは扱えなく、食材入手には苦労したそうだが先手必勝で大繁盛したそうだ。他に店がないだけに料金は高くても客は引きも切らなかったというから同慶の至りである。年齢的に健康面から長く居られないということで数年で引き揚げたが、現地駐在員たちからはそうとう惜しまれたそうだ。

そんな海外の日本料理店事情も、この3年間世界中を席巻した新型コロナ感染の影響でどの国でも大きく変わったと思われる。上海にいるある企業の駐在員と連絡をとってみたが、私の馴染みであった店の多くは閉店してしまったようだ。それでもテークアウトなど工夫して生き残っている店はまだまだあるようで、頑張ってほしいと心から願うばかりである。

著者プロフィール

葉山明彦

国際物流紙・誌の編集長、上海支局長など歴任

40年近く国際関係を主とする記者・編集者として活動、海外約50カ国・地域を訪問、国内は全47都道府県に宿泊した。

国際物流総合研究所に5年間在籍。趣味は旅行、登山、街歩き、温泉・銭湯、歴史地理、B級グルメ、和洋古典芸能、スポーツ観戦と幅広い。

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