続・徒然日記

記者のイノベーション奮闘記

2024年2月14日

『続・徒然日記』
葉山 明彦

 

今回は「私とイノベーション」をテーマに、齢七十近くなった私が記者、編集者時代を振り返って、節目となったイノベーション(技術革新)の歴史について書いてみる。きっかけは先の芥川賞で作家の九段理江氏が受賞作「東京都同情塔」を書くに当たり、いま最精鋭のイノベーションたる生成AI(生成系人工知能、※1)を使ったことにインパクトを受けたからだ。私は以前から私のライフスタイルに影響を与えたイノベーションのことを一度まとめたいとは思っていたが、生成AIの表舞台登場で未曾有の超IT(情報技術、※2)時代に突入したと認識し、ここらでインベーションとの奮闘の半生をまとめて、最後に生成AIへの感想も述べたい。

私は1970年代末に専門分野の邦文と英文の通信を日刊で出す会社の記者になった。後に雑誌や大版の新聞など複数の発行物を出していくが当時はこの2紙だけだった。会社は都心にあるビルで、入口を入ると国際関係を扱う職場らしく提携する通信社のテレックス配信音がチンチンチンと鳴り、奥に編集部、脇に和文タイプ、その奥に印刷所の輪転機が回っていた。テレックスのチンチンチンに和文タイプのガッチャンガッチャン、夕方になると印刷のグォーという輪転機の音が鳴り出す。まったく調和のとれないいくつかの音が同時に大きく複雑に響く。戸を閉めた編集室にはそんな喧噪が遠巻きに聞こえるが、それが記者には不思議に心地よかった。まさにアナログそのものの、ある意味で古き良き時代であった。

当時のイノベーションで思い出すのがコピー機だ。私が入る少し前に導入したようで、それまで複写は大きな紙の「青焼き」でしかできないため、あまり使えなかったようだ。その会社の労働組合の機関誌はコピー機導入前年までガリ版印刷をしていたというので、今思うと化石のようなものである。

仕事の記事は当時、原稿用紙に手書きだった。原稿用紙と言っても400字詰めでなく、失敗したらすぐ丸めて捨て、新たに書き換えられるよう18字6行のB5専用紙だった。1980年代に入るとオフィスオートメーション(OA)化が一気に進み、ファックスが一般化された。それまで記者が出先で〆切前に急ぐ原稿があれば、口答で短文を電話送稿していたが、原稿をそのまま編集部に送れるようになった。特に海外出張ではそれまで帰国してから書いていた記事を出張先のホテルなどから当日送れるようになり、翌日付に載ることで速報性を高めた。海外から送った記事を出張中に現地の購読先で読んだ時はうれしかったのを覚えている。

OA化の波は編集現場にさらに大きな波を起こした。1988年にワードプロセッサーなるものを導入し、記者がキーボードを打って記事をフロッピーディスクに入れることで和文タイピストの仕事が不要となり、印刷もオフセット化した。会社にとっては大改革で、配置転換や技術習得で移行に数ヶ月かけたのを記憶している。

ワープロは2~3年でパソコンに変わった。デスク周辺業務はそれに機能したが、記者はほとんどパソコン機能を使い切れず、今思うと宝の持ち腐れだったような気がする。パソコン機能が普及したのは1995年にウインドウズ95が登場してからで、操作が簡便となり同時並行でインターネットの普及や電子メールサービスの無料化で多くの便利機能が加わった。インターネットでは海外を含めた情報入手がいとも簡単にできるようになり、編集業務のみならず知識教養の幅を拡げるのに役立った。また事業面ではそれまでの紙媒体だけでなくネットメディアへの進出を促した。私の会社でも事業分野によって提携先とジョイントベンチャーしたり、あるいは単独で進出したりしてネット時代に対応していった。電子メールは内外問わず連絡相手とやりとりができ、記事も写真も添付できる。電話のよさの半分を取って替え、ファックスも時代が進むにつれほとんど不要となった。

1990年代後半はもうひとつ、携帯電話が普及しだした時期だ。90年代前半にポケベルが普及したが、私は当時、編集業務の内勤に就くことが多くなり、ほとんど使ったことがなかった。携帯電話も当初はインターネットやメール利用で画面や表示ボードが小さく感じ、写真の画質も悪かったので、人との待ち合わせの現地確認などでしか使わなかった。

日本の場合、ワンセグや赤外線通信、おサイフケータイなど独自の機能を進化させたことでガラケー(ガラパゴス携帯)と呼ばれ、その後のスマートフォン展開に遅れをとったが、2009年にアンドロイド搭載機が発売され、2010年ごろからiPhoneが普及するにつれ、やっとスマホ時代到来となった。そして今はパソコン以上の機能、利便性を持つに至る。余談になるがこのころ中国駐在した私は中国のスマホ普及が日本よりはるかに進んでいたのに驚いた。中国の携帯電話は初めからスマホでガラケー時代がなくそれは当然なのだが、この分野で日本が負けたのを知った。

会社としては2000年代終盤に一部事業で大判の新聞発行を行い、割り付けなどの整理機能の拡充と外注印刷所との連係強化をはかり、新業務に対応した。次のイノベーションは2015年前後から普及したテレビ電話だ。日本企業は海外法人とのテレビ会議を既にやっていたが、国内で全国的に普及したのは2020年の新型コロナウイルスの感染蔓延からだ。Skype、ZoomからLINEに至る有料、無料のアプリがいくつもあり、会議はもちろんのこと、社員は出勤せず自宅でリモート勤務する。私は第一線をリタイアしていたが、国際物流総合研究所での経営者インタビューやセミナー参加などで使わせてもらった。

そして今日、イノベーションの最高峰として話題となっているのが生成AIである。AI(人工知能)は既存データをコンピュターが学習し、その範囲内で最適な推論、判断、認識などができることで7~8年前に脚光を浴びたが、生成AIは「ディープラーニング」(深層学習)という機械自身が学習するデータ分析手法で、人間からの問いかけにAIオリジナルな最善の答えを創造できるようになった。特にChatGPT(※3、高度なAI技術で人間のように会話ができるAIチャットサービス)が普及したことで、操作が簡易となり、ビジネスや学業、芸術芸能の世界で脚光を浴びている。一方、使い方によっては著作権や肖像権などの面で問題も指摘されている。そんななかで今回芥川賞という表舞台に受賞作がさっそうと登場してきた。

私は受賞作の生成AI利用の可否をどうこういう気はない。作家本人は文章を全体の5%ほどはそのまま使ったと言っているが、賞選考の審査でもそれを問題としていないし、むしろこの作家は生成AIに人間の持つ創作力がないことを指摘した上で「人間のスキルを補完するもの」と位置づけ、「これからもできるものは利用し自分の創造性を発揮できるような文筆活動を行っていきたい」と、理解した上で生成AIと向き合っているのがわかる。

私は芥川賞受賞を生成AIが広く普及していく通過点ととらえ、これからさらにいろいろな分野の表舞台に登場してくる一方、未整備の社会環境下で問題が多発していくことを予想する。外国では生成AIの利用が怒濤のように押し寄せ、各地で著作権や肖像権のトラブルが発生しているようだ。例えば全米脚本家組合は昨年、著作権保護の観点から製作会社に生成AIの規制を求め、長期のストライキを起こした。同組合は、生成AIはもはや盗作で創作活動に敵対するもの、こんなものが普及すれば脚本家は失業してしまうと厳格な運用を求めた。いまは雨後の筍のようにつかみどころがなく百花斉放だ。これからを考えると民間だけでなく公的な利用基準を設ける声が日本だけでなく世界的に起こるのは必至とみるが、その難題にどのような解決策ができるのかも注目されるところだ。

最後にこの続・徒然日記の私の原稿は生成AIでなく“自力”で書いたことだけは言っておく。まだ生成AIを執筆で本格的に使ったことがなく、これからどうするかは私の課題でもある。

※1(生成AI=ジェネレーティブ・アーティフィッシャル・インテリジェンスの略)

※2(IT=インフォメーション・テクノロジーの略)

※3(ChatGPT=チャット・ジェネレーティブ・プレトレインド・トランスフォーマーの略)

著者プロフィール

葉山明彦

国際物流紙・誌の編集長、上海支局長など歴任

40年近く国際関係を主とする記者・編集者として活動、海外約50カ国・地域を訪問、国内は全47都道府県に宿泊した。

国際物流総合研究所に5年間在籍。趣味は旅行、登山、街歩き、温泉・銭湯、歴史地理、B級グルメ、和洋古典芸能、スポーツ観戦と幅広い。

無料診断、お問い合わせフォームへ